家は父親が絶対の厳しい家庭だった。
俺と姉、母親と父親の4人家族だ。
父親の躾はとにかく厳しかった。
唯一の男の俺は、悪いことをすると平気で殴られた。
そういう時代だ。
父親は女には絶対に手を上げなかった。
その代わり、「女は謝るときは服を脱いで裸になれ」というのが、我が家の絶対ルールだった。
「裸の謝罪以外は、謝罪とは認めない」
というのが父親の口癖だった。
母親は、父よりも10歳年下で若い綺麗な女性だった。
小さい頃は、よく子供の前だろうが何だろうが、ソファーに座った父親の前で、よく全裸で土下座させられていた。
俺と姉は、よくその光景を後ろから見ていた。
なので、母親のおしりの穴は何度も見たことがある。
俺よりも6つ年上で、先に思春期になった姉は、よく母親の全裸土下座を、気まずそうに、顔を赤らめて恥ずかしそうにモジモジしながら見ていた。
俺は、謝るというのは、そういうことだと思いこんでいたので、最初は何とも思っていなかった。
母と姉の土下座
姉も大きくなると、よく姉も父親の前で裸で土下座させられるようになった。日によっては、母親と姉が2人並んで、ケツをこっちに向けて父親に土下座していることもあった。
俺は、よく2人の肛門をみながら宿題をしていた。
姉は極度に恥ずかしがりだったのか、よく羞恥に震えていた。
そのせいなのか、後ろからみると、いつも肛門がヒクヒクしていて面白かった。
そのことを指摘すると、姉に顔を真っ赤にして殴られた。
それで、これは女性に言っちゃいけないことなんだと学んだ。
女子校生の頃になると、よく定期テストの点数が悪かったとか、門限を破ったとかで、姉は裸で土下座させられていた。
この頃になると、姉は必死に「裸はいや!許して!」「下着でいいでしょ!」と泣きながら父親に抗議するようになった。
だが、いつも結局、最後はすっぽんぽんになって、肛門をヒクヒクさせながら「ごめんなさい」と謝罪していた。
姉が裸になるのを必死に嫌がる姿をみて、俺もだんだん、「全裸で土下座するというのは普通じゃない」「女の子にとってすごく恥ずかしいことなんだ」と認識するようになった。
一度、そう認識するようになると、泣きながら裸になるのを嫌がり、さんざん抵抗した挙句、結局、最後には肛門丸出しで土下座する姉のことを、みっともないと思うと同時に、だんだんエロいと感じるようになった。
最後に、姉が父親に謝罪させられていたのは、大学2年生のときだ。
東京の大学に進学したものの、遊び過ぎて留年してしまったようだった。
「ふざけるな!」
「裸で謝罪しろ!」
と激怒する父親。
姉はさすがにもう20歳を超えた大人の女性だったので、裸で土下座するのは、相当、抵抗があっただろう。だが、最後には、泣きながら裸で土下座していた。
このときには、もう俺も明らかに下心を持って、さりげなく後ろに回り込んで姉の土下座を見ていた。
20歳を超えた姉は、めっきり美人になっていた。普段から綺麗な服を着て、メイクも濃くなり、髪型なども垢抜けていた。男性とも合計2~3人は付き合っていただろう。久しぶりに後ろから見た姉のま〇こは、綺麗に毛を短く整えてあった。ビラビラも昔よりも熟していて、色々な男性と経験してるんだろうな、と想像した。
相変わらず、土下座している間、姉は恥ずかしさに震え、おしりの穴はみっともなくヒクヒクし続けていた。いくら美人の大人の女になっても、こういうみっともない癖は一生変わらないんだろうなと思った。
姉の裸の土下座を見たのはこれが最後だ。
母親もある程度の年齢になると、裸で土下座させられることはなくなった。
結局、いま思うと、父親の性癖だったのかな、と思う(笑)